庸生博士を迎える様子 錠二の手紙から(明治40年8月9日ロンドンにて)
 鈴木は6月30日、台北を発し7月3日香港へ着。それより直ちに独逸船にてゼノアまで参り候由、8月2日付にて同地より通信之有り候。本日午後、英国サザンプトンへ到着の予定に之有り候間、昨日同地の汽船会社へ手紙を出し、電報にてロンドン着の時間を通知せる様、依頼いたし候べく候。電報あり次第ステーションに出迎え万事の世話を致したく考居り、右電報を待ち合わす為、本日は他出を見合わせ居る次第にござ候。自分も今日より少しづつ休暇を得、鈴木の世話を致すことの出来得るは、誠に好都合にござ候。
 万国理学文書目録国際会議に出席する為ロンドン滞在中の錠二が、独逸へ向う庸生氏を出迎える状況であるが、限られた通信手段で連絡を取り合うのはさぞかし大変であったろうと思われるが懸命に対処しようとしている錠二の誠実さ、到着を知らせる電報が来るのを外出しないで待っている真面目さを物語っている。
  錠二の手紙から庸生氏の渡航ルートを探ると台湾総督府からの出張であるから台湾在住と考えれば台北出発は納得できる。台北(6/30)⇒香港(7/3)⇒ドイツ船でゼノア<ジェノヴァ>(8/2)⇒サザンプトン(8/9)。予定通りとすると所要日数71日間となる。当時は荷客船が主流で乗降客がいなくても荷物の揚げ降ろし、水や燃料、食料の補給に多くの港に立ち寄って行くので時間も掛かるのは当然であるがやはり大旅行であった。